クールランナーというDVDをみました。ジャマイカの短距離走者が最後かもしれないオリンピックでクールランニング
本来は短距離ランナーのジャマイカオリンピック代表有力候補であったはずの主人公が選考レースで最後にこけてしまいオリンピックに出たい思いからなんとボブスレーの代表選手としてオリンピックへ出ることに!
ジャマイカ雪降らないし練習だって簡単にできないですし!
雪を見たことも無い彼らのオリンピックは正になにもかもがはじめて!
スポーツ精神で最後にゴールをした彼らの姿があるのですが、途中でたくさんの選手たちが彼らをけなします。最初は会場にいっても寒さに耐え切れずユニフォームもっていませんでした。
実はこのストーリー、事実をもとにされているらしいです。どこが事実でどこがつくってあるのかはわかりませんが。
でもボブスレーだから雪が降る国という発想が、彼らをいじめの標的にしたと思います。
人は~だから~する。というように考えるまもなく教えられ育てられてきます。最初から公式のように生まれてから覚えることだらけです。
朝、人にあったら挨拶をしなきゃいけないと教えられますが、なぜを理解しないでただ単に教えられます。なぜを理解しないで挨拶って心こもらないような。。水をコップでのむ、はしでものをたべる。
いろんなことが決まっていることのように教えられることから、その意味を考えたり、発想することが少ないように思います。
だから、もし~のときは~する というようにできないと人はストレスを感じたりがんじがらめになっていきずまるということがおこるのかもしれないです。もしその時代だったら、抽象画にたいしても意味がわからないということはなくこう書きたかったんだと思え、もっと理解できるのかもしれません?
しかし便利ですよね。最初からあれば考えなくてすむし、便利と引き換えにいろんなものが与えられましたから。そきおにあることに感謝するのを忘れるくらいに。
でも自分の子供できたら、あまり物をあたえず自分で少し考えてほしい。当たり前なことに関しても。なぜといつもまわりや物にたいして、疑問をもっていきてほしいかもと思う私でした。
それがわたしには与えられなかったものなので。